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中の声

KAMOMEを経たキャスト・スタッフで、

グループセッションを行いました。

参加者 作・演出 神保治暉

    出演 門田宗⼤、高田歩、円井わん

    舞台監督 塩澤剛史

聞き手・ライティング 河野桃子

 

もくじ

1. 企画立案~キャスティング

2. 第一弾『家』

3. 第二弾『喪』

4. 第三弾『女 ME』

5. 3作を追えて

6. 第四弾『カモメ』

7. 終了後、まとめ


 

1. 企画立案〜キャスティング

◎企画アイデア

チェーホフ『かもめ』を現代日本で上演するとしたらどうすることができるだろう、と考えた時に、一作の創作では強度が足りないと考えた。そこでアイデアのひとつとして、『かもめ』を世界観の異なる4作品に構成して連続上演をすることにした。『かもめ』自体が人間社会の縮図であるということ、そこに人間関係のねじれのおかしさがあることを、生きづらさを抱える現代日本を舞台に表現したかった。自分達が『かもめ』の社会そのものになれたら面白そうだと考えた。

4作それぞれ焦点を当てる主人公を変え、第一弾はトレープレフ、第二弾はマーシャ、第三弾はニーナ、第四弾は集大成として群像劇にすることを当初より想定した。

 

◎企画スタート

神保(作・演出)が4作通した全体の構想を企画し、提案。キャストは一部オーディションを行った。テクニカル面に関しては、まず下見をして場所を決め、具体的なことは稽古の進行とともに決めていく。

 

◎キャストの参画

神保(作・演出)

そのキャスト達が集まるだけで『かもめ』になっているという必要があったので、全企画2年を通して実際の『かもめ』のような関係性になることを想定して配役した。人間はあまり嘘をつけないと思っているので、なるべく本人のまま芝居をできるのが望ましいと考えてスタートした。

配役は門田=トレープレフだけが最初に決まっていたので、門田を中心に構成した。「この人とこの人は馴染むのが大変だろうな」とか「きっとこの人が間に入ってまとめるんだろうな」という印象は、結果的に実際の稽古場でもそうなっていった。

 

門田(エリア51メンバー/トレープレフ役、ほか)

企画として、チェーホフ『かもめ』が3つに分解され、それぞれ異なるキャラクターが主人公になるというフォーマットについて「面白いね」と前向きに参加した。また、長期間取り組むことが、自分自身にどう影響していくかという興味があった。

 

円井(マーシャ役、ほか)

初舞台のため予想できないことが多かったが、オーディションの段階ですごく面白そうだと思った。ちょうどコロナウイルスの影響で帰省中だった自分にとって、希望だった。

 

高田(ニーナ役、ほか)

初舞台。2年をかけた企画ということで「ニーナの2年を一緒に追っていけるかな」「すべてが終わったらニーナの考えがわかるようになるかな」と考えていた。

 

塩澤(舞台監督)

劇場ではない場所での公演ということで安全面がもっとも気になった。しかも神保さんのプランは無茶が多い。実際にできるかできないかを判断するために相談を重ねる必要はあったが、予想外のアイデアはとても面白かった。



 

2. 第一弾『家』

時期 2020年9月17日(木) - 9月23日(水)

場所 rusu(民家)

テーマ 生活

主人公 トレープレフ(門田宗大)

 

◎概要

会場であるrusu=⺠家を借景し、生活の中で起こる演劇を展示する。観客は、生活の断片であるプロップス(展示品)を観賞し、そこから展開される演劇を追体験していく。コロナ対策がもっともシビアな時期での公演。観客を10人までしか入れられず、代わりに1日4回公演をおこなった。

◎作品構想

神保(作・演出)

チェーホフの『かもめ』からいろんな要素を抽出し、構築しなおし、切り離して考えていました。ただ稽古場では、『家』に書いていない部分については、原作からヒントを引っ張ってくるというコミュニケーションをとりながら進めた。作品イメージの共有については、観客が「お邪魔します」といえにやってきて、ある家族を見て、「お邪魔しました」と帰っていくような空気にしたいという話を事前にした。家族のような感覚になってもらいたかった。

 

◎作品について

門田(トレープレフ役/メインキャスト)

自分なりに原作を解釈して取り組んではいたが、稽古では切り離して考えた。『家』は場内に展示をして、展示品のある場所でおこなわれていた出来事を再現していく作品。そのためディズニーランドのアトラクションスタッフのような気持ちでやった。また、『家』は文語的なせりふだったためか、とくに古典的な芝居をしているという特殊さがあった。

 

高田

家のような場を作れるように意識し、観客が居心地よくいられるようにしようとしていた気がする。実際の民家での上演だったことで助けてもらった。匂いや、皆で同じトイレを使うなど、生活できそうな感覚になり、作品に入り込みやすかった。

 

円井

稽古が始まって「集団行動をしないといけない」ということに気づき大変だった。これまでは映像出演の経験しかなかったが、舞台は密度が濃く、しかも2年という長期間の企画。そのため、大きく揉めたらどうしようという不安もあるなかで始まった。

劇中に観客が移動することもあり、足が痺れて動けなくなるなど想定外のことも多かった。

 

◎観客との距離の近さ

円井

バランスは見ていた。演者と同じ空間にいてもらうということは、観客に一緒にいるような感覚になってもらうということ、というのをすごく意識していた。稽古では、出演していない演者が観客の代わりをしてくれたので距離感はわかっていたつもりだったが、本番は「すごく観られている」という意識があって怖かった。人に観られることはこんなに怖いんだとあらためて思った。

また、観客との距離がものすごく近くて目が合うこともあるので、本当に「居る」という感覚だった。観劇した友人からは「変顔しようかと思ったくらい距離感が近かった。いつもと変わらない感じでありつつ、『家』を表現している感覚ではあった」とコメントをもらった。

 

門田

メタ的な演出により、舞台上でオフの時間がある(例:劇中で観客が移動するため、演者同士が目線により合図を出す)。役者が気を抜いた瞬間を見られるのはちょっと気恥ずかしいが、それをあえて見せることが今回の『カモメ』シリーズでは多い。その時の目線がより距離感の近さを感じさせるという面白みがあった。

 

◎会場/設営について

塩澤(舞台監督)

観客がケガをしないかが最も心配だった。観客がどこでも触れてしまうし、古い建物なのであまり丈夫ではない。台所の床が抜けそうになっていたところに板をいれて補強するなどした。

仕込みの際には時間が限られているなか、掃除と補強という通常の劇場ではしない作業をおこなった。ドアを塞ぐために壁を剥がしてベニヤを貼ったり、窓の桟が腐っていたりしたが、もっとケアしたかった。

また、とにかく物が多かった。お風呂場にも物が入っていて仕舞う場所がない。最初はビニールシートを入れるなどしたが、結局は辞めるなど試行錯誤した。

 

◎コロナの影響

神保(作・演出)

最初の計画がだいぶ変わった。本来は、観客ともっとコミュニケーションをとりながら展示物を見ていただく予定だった。たとえば、テレビの説明文に「これは思い出の……」などと書いてあり、それについて観客が物語(※門田/トレープレフが死んだ経緯など)を思い出していくという、時間を逆行して物語を追うような構想があった。しかし想定できないものを減らす過程で、物語を時系列で構成しようということになった。

結果的にやりたいことができたわけではなく、もうちょっと工夫できたのではないかという思いがある。

 

門田

稽古の段階で不安が大きく、フェイスシールドをつけるとか、観客との間に壁を設けるといった様々な案が出た。

 

塩澤(舞台監督)

全員で消毒も行うなど、平時とは異なる対応が増えた。コロナが蔓延し始めた最初の時期だったため、適切な対応がわからず、密を禁止する社会的な空気も強かった。


 

3. 第二弾『喪』

時期 2021年4月08日(木) - 4月12日(月) 

場所 Design Festa Gallery EAST 101

テーマ 生死

主人公 マーシャ(円井わん)

 

◎概要

本編『喪』や、本編を補う短編演劇など、原宿・キャットストリートに10の虚構群が点在する。観客は地図と時刻表を頼りに劇を探す。

 

◎作品構想

神保(作・演出)

マーシャには、ふたつ名前があるというところが大きなポイント。オーディションの動画で、円井から「自分像を纏っている」と雰囲気を感じ、マーシャの二面性に適していると思い配役した。円井は辛さのなかに甘さがあり、おそらくマーシャは甘さのなかに辛さがある。第一弾『家』では「纏っている」という一面のみを出したが(そのため円井本人は自分を抑えていた)、『喪』では二面を見せた。

 

◎作品について

門田

台本を見て、第一弾『家』との違いに驚いた。『家』は原作を追ったストーリーだが、『喪』は原作にあるシーンがほぼなかった。そのため次の第三段『女 ME』も自由度が高いんだろうかという想像も及んだ。そのことで、今企画をよりチェーホフの『かもめ』と切り離して考えられ、より神保の世界になっていった。『家』『喪』と2作を経て「まだ続きがある」という不思議な感覚があり、連続企画の途中経過だということを感じていた。

 

高田

チェーホフ『かもめ』の大事なポイントを引っ張り、かつ神保さんの世界として描かれていたので「はあ~おもしろい!」という第一印象。4部作だからこそできた話だと思った。

 

円井(マーシャ役/メインキャスト)

戯曲には「デオキシリボ核酸」や哲学用語など知らない言葉が多く、前文に単語の説明が並んでいるのも長く、まず勉強するところから始めた。また、終盤2ページほど一人で語りかける長せりふがあり不安になったが、主役だということで「マーシャ(=ユノ)を殺しちゃいけない」と熱が入った。おかげで役者としてかなり成長できた。戯曲そのものは神保さんの世界観が強く、『家』とまったく違っていてすごく好きだった。

中心人物となる(原作では)マーシャについて、神保さんの描くマーシャは「陰」の要素が強く、自分とはまったく違った見え方をしていたことにも驚いたと同時に面白かった。

 

神保(作・演出)

二作目『喪』に取り組むことにより、前回『家』の台本が文語的だったということに気づいた。それまで文語と口語が自分の中なかでごちゃ混ぜになっていた。

 

◎キャスティングについて

円井

『喪』からメドヴェージェンコ役の福田周平さん、トリゴーリン役の原雄次郎さんが入ったことにより、良い意味での「キモさ」が出た。まさに『かもめ』のような世界観になってきて神保さんのキャスティングに驚いた。

 

◎稽古について

門田

空気が重かった。せりふが大変、台本が難解、コロナで緊迫した状況にある……など様々なストレスが重なり、皆がなにかに切羽つまっていた。とくに『喪』はほぼ若いメンバーだったため、安定してどっしり構える人がおらず、互いの緊迫感や重みが伝染していた。そのカオスな空気感が舞台に乗っており、当時の苦しい状況だったからうまれた作品になった。

役者個人としてはとくに主演の円井さんが、舞台慣れしていない第一弾から始まり、第二弾で大変な立場をやりきっていったという印象が強い。

 

円井(メインキャスト)

誰もがとてもイライラしていたが、けっして仲が悪かったわけではない。おそらく皆、若いし俳優だし自我が強くて承認欲求の塊だった。すこし「ふふっ」と笑っただけでイラつくけれど、イラつきながらも『情熱大陸』ごっこなどして遊んでもいた。精神的に落ち着かない限界を感じる中、年上でかつ出演者ではない塩澤さんの安定感に助けられ、よく話を聞いてもらった。

 

塩澤

つねに稽古場にいたわけではないのでギスギスしていたことには気づかなかった。大変だろうけれど、チームとしては仲のいい印象がずっとある。


 

◎会場/設営について

塩澤(舞台監督)

セットとしては中央に更衣室を作り、プロジェクターを吊っただけだが、いろんなアーティストの作品展示をしてすごく面白かった。とくにロープアートは、更衣室の天井にロープを展示するというもの。アーティストのKana Jeongさんと相談すると「現場に入ってやってみないとわからない」という感覚だったが、おそらく感覚で進めたら仕込みが終わらないと感じ、ミリ単位で数字を出して現場の設営に臨んだ。

 

◎インスタライブについて

塩澤(舞台監督)

もっとも大変だったのは合間ごとのインスタライブで、タイムテーブルが非常にタイトだったが、神保さん(と福田さん)がすべてやってくれた。劇場よりもやることは多いが、施設としては自由が効くのでやりやすかった。

 

円井

フェスをやっている印象だった。

 

◎コロナの影響

神保(作・演出)

稽古場で「ちゃんと話し合おう」と会議になった。おそらく皆の意識として、万全な状態で取り組みたいという思いと、上演のためには妥協しなければいけないところもあるというバランスを探っていた。

 

塩澤(舞台監督)

稽古場での会議には同席できなかったが、客席のひな壇の作り方についてはかなり話し合った。アクティングエリアに必要な広さと、客席との距離を1~2mとらないといけないというコロナ禍での条件と、観客を最低限入れないといけない人数との兼ね合いで、優先順位をつけてどう客席を作るかを悩んだ。

上演時は、劇場ではないので外の声が丸聞こえだったが、短期休憩を入れて換気をした。



 

4. 第三弾『女 ME』

 

時期 2021年7月1日(木) - 7月7日(水) 

場所 Cafe Hammock

テーマ

主人公 ニーナ(高田歩)

 

◎概要

ハンモックが吊られているカフェにて公演。この上演をもって、チェーホフ『かもめ』のある登場人物に焦点をあてて作品を立ち上げるスタイルは一区切りし、次は群像劇となる第四弾に続く。

 

◎作品構想

神保(作・演出)

まったく台本が書けず、『かもめ』の舞台となる湖を実際に見るため、浜名湖へ行った。ちょうど前作『喪』の最後の場面でトリゴーリン/三島が「自然崇拝に立ち返るべきですよね」と言っていたことと、今作『女 ME』の主人公ニーナが直感的な人物であるため自然と生きる日本民族のイメージが結びつき、自然からインスピレーションを得ようとした。

 

◎作品について

高田(ニーナ役/メインキャスト)

『家』と『喪』とまた別世界。台本の色がニーナの色で、“ニーナワールド”だった。イメージとしては、ドラえもんのタイムマシンに乗って移動している感覚。ニーナがどうなっていくのか神保さんの世界を観るのが楽しみだという気持ちで、神保さんと共有しながら進めていった。

 

◎役作りについて

高田(ニーナ役/メインキャスト)

もともとエリア51の旗揚げ公演を観て大ファンになったところからのスタートなので、企画当初に3作目で主演することがわかった時点でプレッシャーはあった。救いだったのは、『家』と『喪』とはまったく違う作品だったこと。引きずる気持ちはまったくなく、一から遊園地をつくる感覚で臨んだ。(※台本への大量の書き込み)

『ME 女』の稽古にあたっては、神保さんとスカイダイビングに行った。神保さんからの「飛べ」というメッセージだ」と思って飛んだら、まったく怖くなくて気持ちよかった。人からの気持ちがあればこんなに勇気がもらえるものだと思った。

 

神保(作・演出)

スカイダイビングそのものは「空にも空間があって繋がっているんだ」という実感は得られたものの、あまり作品には影響しなかったと思う。ただ、高田さんが『家』『喪』と続けるうちに閉じていった印象があったので、飛んだ方がいいかもしれないと思った。

 

門田

『ME 女』は「高田歩の覚醒」という印象。本企画で初舞台だった高田が、すごく無垢なところから作品を経て変化が見えてきた。神保のキャスティングが冴え渡っていたこともあり、高田が舞台や人との向き合い方において成長することで、ニーナになっていく。『女 ME』の段階では、高田歩=ニーナと思うほどになり、最高の形で『女 ME』が終演した。

 

円井 ※未出演

『女 ME』には出演していないので、初めて客観的にエリア51の『KAMOME』シリーズを観た。全体の印象としては、すごく良い個性が詰まっている夏休みの光景。とくに冒頭に人々が懐中電灯を持って回るインパクトに驚き、その後に土屋いくみさんが「ストップ」とシーンを変えた演出で、新しい『かもめ』を観た気がした。同時に、客観的に観られたことで、自分自身がこの企画に関われて良かったと思った。

また、第一弾『家』から約1年弱をかけて、初舞台だった高田歩が覚醒していく変化を感じられ、人は怖いほど成長するんだなと実感した。

 

◎会場/設営について

塩澤(舞台監督)

ハンモックカフェでの上演だったため、下見では絶望した(笑)。カフェは三角屋根で、一番高い所が4mもあるがハシゴはなく、届く脚立を探した。劇場のようにバトンに吊りものができる環境ではないが、シリーズ中もっとも仕掛けが多く、天井がロープではりめぐらされていた。仕掛けが多くなればなるほど危険度が増すので、安全面にはとくに気を使った。

最終的には7本の綱元を順番に引っ張ることで仕掛けを実現した。とくに最後に6本を一気に振り落とす布の仕掛けが大変だったが、松田桂一さんの照明が入るととても美しく、神保さんが描きたかった景色に納得した。

上からものが降ったりとか。そこが一番気を使うところですね。



 

5. 3作を終えて

門田

『家』『喪』『女 ME』を通して、最後の『カモメ』への準備が完了したという感覚が強かった。3つの異なる魅力を持った作品を終えることでやっと、それぞれが個の作品として成立した。というのも、1年という長期間をかけたことで、様々な視点からチェーホフの『かもめ』を見ることができ、また、メンバー同士の現実での関係性もできてきていた。

とくに第三弾『女 ME』のラストシーンが燃えるので、リセットされたような感覚になり、「準備が終わった。最後の作品に行ける」と不死鳥のような気持ちだった。

 

円井

『家』『喪』『女 ME』の3作が繋がっていたと感じて、連続で観たらものすごく面白いだろうなと思った。さらに第四弾『カモメ』に繋がっていく面白さを、『女 ME』で客席で観たこともあり初めて実感した。



 

6. 第四弾『カモメ』

時期 2021年12月3日(金) - 12月7日(火) 

場所 浅草九劇

 

◎概要

多重構造により群像劇。 チェーホフの『かもめ』現代日本版の稽古にはげむ俳優たち、というエリア51の本企画と同じ設定の人々を描く。テーマは「ペルソナ」。フェイクとリアルの仮面を使い分け、作家の筆で現実をも脚色されながら、俳優達は模索を続けるうちに虚構と現実が幾重にも折り重なっていく。

 

◎作品構想

神保(作・演出)

物語の中の役と、俳優本人役を演じることなど、いくつもの層が重なるメタ的な構造については企画当初から考えていたので、早い段階で俳優達にも相談した。その構想を俳優やスタッフに理解してもらうためにディスカッションからスタートし、ワークショップにも時間をかけた。

 

◎稽古:ディスカッション

神保(作・演出)

最初の1週間くらいは台本があがらなかった。読んでもわからないことが多いだろうなと思ったので、とりあえず集まってもらってひたすら話し、フィードバックをもらいながら書き直した。『カモメ』の劇中にも登場するように、自分は書くことに注力し、門田に託して話してもらった。このようなディスカッションからスタートしたことで、「ああ、そこがわからないんだ」と初めて答えが見つかったりもした。

 

門田

台本の構造について話し、3~4日目あたりでやっと全員が「あ、すごい構造なんだ」と気が付いてきた。何度か説明をしてもらううちに全体像が理解できたことで、その後の稽古が進めやすくなった。

 

神保(作・演出)

4日目くらいに皆に構造が共有できた頃から「どう演じ分けるか?」という話に入っていった。役者から「3つの世界線をどう見せるか?」という提案があり、はっきりと分けて描いていくことにした。

 

円井

都合で一人だけ遅れて稽古に入ったので、ディスカッションに参加できなかった。台本を読んで「どうなるんだろう!?」とすごく驚いたところから、構造の仕掛けがわかるのに2週間くらいかかった。

 

◎稽古:ワークショップ

神保(作・演出)

これまでの『家』『喪』『女 ME』の3作がそれぞれ違う空気感だったため、芝居に入る前に、あらためて全10人が集まったらどういう空気になるかを作っておきたかった。そのため、稽古当初はワークショップにかなり力をいれた。ワークショップでは、互いの価値観や考えの違いを可視化することを目指した。それぞれ演劇にかけるモチベーションも違うし、作品へのコミットのイメージも違うということを、まず認め合わないと集まれない、と考えていた。

 

高田

印象的だったのは、「1」から「5」までの数字が書いた紙を2枚用意し、10人に振り分けて、同じ数字を持った人を見つけるゲーム。自分の持った数字からイメージする色を手がかりに同じ数字の人を探したが、土屋いくみさんと原雄次郎さんが同じ「金」なのに、持っている数字はそれぞれ「1」と「5」だった。私は絶対に「金=1」だと思っていたので、こんなに見ている世界が違うんだと衝撃を受けた。1年も一緒にいたのに、真反対の価値観を持って世界を見ていたことに驚いた。

 

◎役作りについて

神保(作・演出)

1年以上をかけて一つの役に取り組んできたので、各キャラクターのバックボーンを考える時間をかける必要がなかった。おかげでフットワーク軽く稽古が進められた。俳優達も肩の力を抜いて舞台に立つことができていた。

 

円井

役作り期間が2年近くあったことは、俳優としてとても贅沢でありがたい。作品としてはまったく違うものに取り組んできた感覚なので、役の背景を踏まえながら、新たな作品に取り組んでいった。前作の第三弾『ME 女』に出演していなかった期間もあり、思いつめすぎても良い結果は出ないからとりあえず気長にいってみようという気持ちで臨めた。

 

高田

企画が始まった頃の想像とは違っていた。4作を通してニーナのことを理解できると思っていたが、わからないままだった。

 

塩澤

初舞台だった高田さんの変化を感じた。第一弾『家』の時は不安を抱えたまま舞台に出ている様子だったが、第四弾『カモメ』では不安が見えなかった。「うまくなったね」と声をかけた。

 

神保(作・演出)

高田さんの成長は大きかった。第四弾『カモメ』のプロローグで、自転車を持ってきて舞台上に片膝をついて待機する姿を見た時に「ちゃんとそこに居るな、かっこいいな」とすごく成長を感じた。

円井さんに関しては、第二弾『喪』までではわからなさやそれゆえの怖さを感じて距離があったが、出演しなかった第三弾『女 ME』を経て、第四弾『カモメ』ですごく準備をしたうえで肩の力を抜いて芝居をしてくれたことで、演出家と出演者の関係がフラットになれた。

 

◎役と現実がリンクする構造について

門田

もともとのキャスティングの力が神がかっていた。そのおかげで現実とリンクしていった。現実とリンクさせるメタ的な世界観だったこともあり、現実と地続きのようだった。シリーズとしては集大成だという認識もありつつ、「この作品で終わりだ」という感覚があまりない。たぶん演劇の構造だけでなく、この企画の“絶望を喜劇にしようとしている”というテーマ性とも密接なんじゃないかという気がする。『カモメ』の劇中劇で、完全な喜劇ではない作品を喜劇として演じた俳優達のように、自分達の現実にも絶望と喜劇性があるという感覚が残っていて、作品と自分が繋がっているという直感がある。

 

神保

第三弾まではたまに『かもめ』の世界に見える気がするくらいだったが、第四弾では気持ち悪いくらい全員が『かもめ』の世界にはまっていた。「あ、怖いことをしているかもしれない」と恐ろしくもなった。

 

円井

本当に自分が過去に言ったことが書いてあった!

 

神保(作・演出)

当初に想定していた、長い期間をかけてチェーホフ『かもめ』に様々な角度で取り組むことて、自分達自身が『かもめ』のようになるということはできていた。ただ、もっとしがらみに捉われて苦しむかと思っていたが、おもいのほか俳優達にとってのホーム/帰る場所のようになった。現代日本の生きづらさを描こうとして始まった企画だったが、結果として他人との関係性が濃厚になったことは希望だったのかもしれない。作品全体のイメージとしては「絶望が喜劇に変わる」ということをぼんやりと考えていたが、それを実感できるとまでは思っていなかった。この2年の企画の間に、自分自身も、生きている環境も、社会も変わった。そこまでは想定していなかった。



 

7. 終了後、まとめ

 

◎俳優について

門田

最中は役に対して必死で、観客や社会にどう届くかという客観的な視点は持てていなかった。

 

高田

最終的にニーナの気持ちがわかるんだろうなと、毎回毎回思っていて、臨んでも、結局はわかりきることができなかった。それがわかったのもよかったし、悲しい気持ちにもなったし(笑)

いやぁ続くなぁ全然終わらない!と思いました。結局、全部の結論に達することってできないのが現実だなと思って。やればやるほどつかんでいって、

 

円井

門田さんがいつも稽古では中立の立場にいて、企画の最初からずっと優しいままで居てくれた。大変だと思うがすごい。

 

◎作・演出について

門田

第四弾『カモメ』がクリスマスの時期とかぶった時に、神保が楽屋にサンタクロースの格好で「ふぉっふぉっふぉっ」と登場して皆にクリスマスプレゼントを渡した。そんなことは絶対にやらない人なのにあのはしゃぎようは凄かった。あの神保を引き出せたのは、数年をともにしたからこそ。こちらまで嬉しくなった。

 

高田

神保さんは最初からずっと目の前の人のどんな状態も受け入れたうえでプランを提供してくれる。それはずっと変わらないし、変わらないことも凄い。


 

◎チーム感:2年を踏まえて

円井

「やることに意義がある」とはこういうことか、と思った。この2年で各々の見えている景色がものすごく変化する中、「帰る」場所のような感覚になれたことは心強い。もちろん距離が近づいたことによるしんどさもあるが、最後には「手を取り合ってやっていこう」というポジティブな気持ちになれたし、顔を見たら安心する「ホーム感」に出会えることは今後の人生でそんなにないと思う。おならができる関係になれたことはすごい。まるで学校のようで、気を遣いながらも一緒に過ごし、2年の下積みを経た集大成の『カモメ』の時には若者は全員ちゃんと他人を受け入れられる大人になっていた。千秋楽は卒業式みたいだった。この2年を映画にできたら、すごく大変だけど良いものができると思う。

 

門田

学校みたいだという表現がすごくしっくりくる。大学で4年間連れ添ったメンバーと卒業制作を作った時の感覚にすごく似ている。最後は各々がなにかを見つけ、各々の道に分かれていくのも学校のよう。

 

高田

濃密な2年間だった。皆との関係性が変化したことが作品にも大きく影響していて、第一弾『家』では「よし、大丈夫、この人達は信じて大丈夫」と日々言い聞かせることで自分の恥を晒そうとしていたのが、最後の『カモメ』では自然と、皆は受け入れてくれると信じていた。思っていた以上に、自分が皆に身を委ねることができるようになった。

 

◎会場/設営について

神保

テクニカル面では、スタッフはシリーズ通して同じプランナーにお願いしていたために実現できたことが多かった。通常ならば、顔合わせのたびに演出家などが「どういうふうにプランニングを進めていきましょうか」とコンセンサスをとっていかないといけないが、互いを知っているので予想ができてとてもやりやすかった。踏み込みにくいプランも相談できた。

 

◎チェーホフ『かもめ』について

神保

最初は「向き合わなければいけないハードル」という感じだったが、適当に読めるようになった。『かもめ』の戯曲にはどういう人達なのかということが書かれていて、そこで起こっている変化や物語的な展開が重要。しかしそれを再現することが重要なのではなく、描いた人物を通して観客に想像してもらうことが大事で、チェーホフはそこが長けてるんだなとわかった。人間観察のようにチェーホフの本を読めるようになった。

 

高田

最中はやってる途中は「チェーホフ最低!大嫌い!」という気持ちだったが、終わってしばらく経ってみてやっとすべてを客観的に見れた。つまり過去として捉えてしまった。それは成長でもあり、人間として一歩引いたところにきたなという気持ち。

 

円井

ひとつの教科書になった。人間の縮図だということに実感が持てる。

 

門田

うまくまだまとまらないが「おまもり」という感覚は近いかもしれない。

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