配信劇「ハウス」
2020年5月3日(日) 18:30会場 / 19:00開演 Zoom
上演台本・演出 神保治暉
出演 門田宗大 大須みづほ
撮影 田邉健太
音響 志村直人
音響助手 若井幸博
美術協力 ジョニー
劇中映像 廣戸彰彦
制作協力 伊藤夏恵(AOI Pro.)
配信劇「ハウス」とは
感染症によるさまざまな分断。演劇はどのように続けられるか?マルチアングル生中継をインスタントに上演し、新たなスタイルを探る。また、自宅待機する私たちの生活・人生の"意義"を考える。
あらすじ
東京によく似たふしぎな世界。ぬりえは家の内側を白く塗って暮らしている。一緒に暮らしている旅人のカメラは、今日も外の世界から帰ってきた。カメラが向かいの島で見たという、大きな虹。一緒に見に行こうと誘われるが、ぬりえには外に出たくない理由があった。最近、外の世界では「色の風」が強く吹く。それは一度浴びると二度と落とせない色だという。
"3密"を回避した演劇は上演できるかもしれない。でも・・・
その前に、わたしたちの生活について考えたい。自分らしく生きるために必要なものは何?
“選択” が迫られている。
私たちの間に修復不能な亀裂が入った。劇場は。映画館は。イベント空間は。不急不要のものだと。鋭い言葉の斧で両断され、私たちはせめぎ合いを余儀なくされた。必要とは、不要とは。「Stay Home」という投げかけも虚しく、満員電車で通勤するしかない会社員は。休業した店舗の従業員は。今月の家賃さえままならない人は。地方へ帰省もできない学生は。八方塞がりである。
・・・でも本来、生活とはままならないものだったはず。誰もが、いつやってくるか分からない驚異と綱渡りしながら生活をしていた。感染するリスク、感染させるリスク、そして、自宅待機の末で破産するリスク、飢え死ぬリスク。政府が遍く我々の生活を完全に担保"できない"なら、それぞれのリスクを考えた上で、最良の人生を選択するしかないのではないか?
「政府の批判」も「悲観」も「自粛」も、それぞれして然るべきだ。だが本当に必要なのは「何を選択するか」考えることだ。誰のせいでもないのだから。自然的なことである。私は死ぬとき、劇場で死にたい。すなわち"演劇が行われている場で生きたい"ということである。その気持ちは今も変わらない。この選択はある意味間違っている。しかし私にとっては唯一の答えだ。
確かに3密を避けた演劇は上演できるかもしれない。でも、かつての3密演劇がもう戻ってこないとしたら? 今、これから、どうやって演劇するか、考え続けたい。